2014年9月14日

troubles(9日目)


le 10 septembre 2014

今日は水曜日だったので、CUFLEは13:30-16:30でした。

わたしの今のところのスケジュールは、

Lundi(月):9:00-12:00, CUFLE
Mardi(火):9:00-12:00, CUFLE
Mercredi(水):13:30-16:30, CUFLE
Jeudi(木):9:00-12:00, CUFLE
Vendredi(金):9:00-12:00, CUFLE
Samedi(土):お休み
Dimanche(日):お休み

・・・こんな感じで、CUFLEばっかりな生活を送っております。

日本で言うとだいたい毎日1限と2限に授業がある感じですね。
それ以外の時間はフリー!なのです。けっこうスケジュール的にはゆるいですよね。

ちなみに、CUFLEのスケジュールは、

25 octobre (10月25日)- 2 novembre(11月2日)
Vacances 。.゚+:ヾ(*・ω・)シ.:゚+。 バカンス!

11 novembre (11月11日)
:休講(大学自体も休校)

10,11,12 decembre(12月10、11、12日)
:Delf tests(フランス語の試験)

授業終了
→ 12 decembre(12月12日)

テスト
→15-19 decembre(12月15-19日)

このスケジュールは大学全体のものではなくてCUFLE独自のものらしいです。
後期分のスケジュールも先生は教えてくれましたが、たぶん私は後期は大学のスケジュールに従うことになるので、そちらはあまり気にしなくてもいいのかな~などと考えております。

そして、そうなんです・・・10月の終わりから11月の初めにかけて、Vacances があるんです・・・!
もう本当に楽しみ!
わたしは旅行が好きなので、この機会を利用して旅行しようと目論んでいます(゜∀゜ )
フランス国内も巡りたいし、でもせっかくヨーロッパにいるんだから、ちょっと足を伸ばしてほかの国も覗いてみたいし・・・!
南の方に行って、ボルドーを経由してちょっとスペインに足を踏み入れてみようかな・・・?などと考えております・・・まだどうなるか分からないけど!



今日のCUFLEでは、新たにフィジー人男子がクラスに加わりました。
授業のペアワークで私は彼とペアを組んだのですが、私はフランス語をあんまり喋れないし、彼はそんなに愛想がよくなくてちょっと怖いし・・・って感じで、ペアワークはあまりうまく行きませんでした・・・。
なんで私はこんなにフランス語が出来ないんだろう、ととても落ち込みました。

フランス語が出来ればもっと考えていることを伝えられるし、相手が伝えようとしていることもちゃんと理解できるはずなのに、出来ない。
会話となると慌ててしまって、後から考えればちゃんと分かることも、焦りで分からなくなってしまう。

でも、ここであと一年暮らさなきゃいけない。逃げられない。
・・・それを決めたのは自分ですしね。

授業中は落ち込みモードでした。
今考えると、どうしてあの時あそこまで打ちのめされたんだろう?と思うけど、とにかくガツンとやられていました。

それでも授業が終わるころには、とにかく現状を打破するためにはフランス語を勉強するしかない、と思うようになれるところまでは持ち直しました。
なんていうか、「もういやだ」と口に出してしまったら本当にだめになってしまう気がしました。
だから、「もういやだ」と考えないように、「フランス語を頑張ってどうにかしよう!」という方向に気持ちが向いたんだと思います。
ここでぽきっと折れて、逃げ帰るのはいやでした。

それでもブルーな気分は継続中だったので、中心街のブラッスリーにでも寄ってちょっとお酒を飲んで気晴らしをしてから帰ろうかな・・・なんて考えながら授業を終えました。



教室から見える風景。


教室の中はこんな感じ。



授業の後は、中心街に行って服を買って帰宅しました。
結局お酒は飲みませんでした(笑)

わたしはまだ洗濯機が使えないので、Amélieが洗濯を安く引き受けてくれました。
考えなしにもほどがあるのですが、その際にほぼ全ての服を渡してしまっていたので、今日はもう「明日着る服がない!」って状態でした・・・。ばか。
仕方ないので「着られれば何でもいいから安い服を買わねば・・・」ということで中心街にあるZARAに行ってきました。
で、買ったのがこれ。


イソギンチャクみたいな柄の服。3.99€。
ほんっとに安かった。たぶん最終セール品です。

帰宅して少し寝て起きたら、なぜかアパート全体が停電していました。
お向かいに住んでいる女の子(初対面)に状況確認のため話しかけてみます。

「あっ あの、私の部屋、電気がつかないんですが・・・」

「うん、なんか停電っぽいよ」

「いつ終わるの??」

「それは分からない ┐(´∀`)┌

あっ 分からないか・・・!そうだよね・・・ ┐(´∀`)┌
わたしは電動のブラインドを閉め切って昼寝していたので、停電が終わるまでは真っ暗な部屋で電気が通るのを待ち続けなければならない・・・

それはいやだな!

いつ停電が終わるのかも分からないのに真っ暗な部屋で待ち続けるのはちょっと無理です・・・!
という訳で、無料Wi-fiが使える大学近くのSUBWAYに一時間くらい避難していました。

ちなみにアパートの正面玄関は自動ドアなので開かなかった・・・。
ので、手動で開く裏口から出ました。
この、ドアが開かない事態に直面したときに、電気って便利だけど頼りすぎるのは怖いな・・・と感じました。
これは、わたしが災害の多い国出身だから感じることなのでしょうか??
フランス人もこういうこと考えるのかな。

しかしなぜ停電したんだろうか。
謎。











以下は授業からの帰り道にあった出来事で、すこし暗い内容かもしれません。



授業から落ち込んだ気持ちで帰る途中、大学の近くで小さな女の子と手を繋いだ男性に話しかけられました。

「この子にサンドイッチを買うお金をくれませんか?」

男性は女の子を指差しながら、この子に、と強調していました。

私は咄嗟に、
「私もお金をそんなに持っていないんです」
と繰り返して去りました。

でも本当は、その日は家賃を払うつもりだったので、いつもよりお金は持っていたし、この後はお酒を飲みに行こうかな、なんて考えていたところでした。
そのまま逃げるようにバス停に向かって、中心街に向かうバスを待ちました。
でもその間も「この子にサンドイッチを買うお金をくれませんか」という言葉が頭から離れませんでした。

あの女の子は本当にお腹がすいていたんじゃないか。
私がお酒を飲もうとしてたお金があったら、女の子のためのサンドイッチの代金は簡単に出せる。
でもそうやってお金を差し出していいのだろうか?

この時、私は中学生の時に訪れた中国のことを思い出していました。
単身赴任していた父を訪ねて中国に行ったとき、身体の不自由な人が複数、這い蹲ってお金を求めてきたことがありました。
当時中学生の私にとっては初めて遭遇するとてもショッキングな出来事でした。
今でも鮮烈に覚えています。
そのときも、どうしたらいいか分かりませんでした。
父は、「憐れまれてお金を貰いやすくなるように、わざと親が彼らの身体を不自由にしていることがある」というようなことを私に話してくれました。
つまり、私たちが彼らの身体を見て憐れみを覚え、お金を差し出すことを期待して、彼らの親は幼児期に彼らの体を何らかの方法で不自由にする・・・というようなことがあるというのです。
私は本当にショックでした。
どうしてそんなことをするのだろうと思いました。
父は、「お金をあげてはいけない」と言っていたけれど、誰もお金をあげなかったら、あの人たちはどうやって生活をするのだろう。
彼らは身体を不自由にされたときから、物乞いをして生きていくように、強制的に人生のレールが敷かれてしまったのかもしれない。
だって彼らの親は物乞いをするときの効果を期待して、わざと彼らの身体を労働するのが難しい身体へと変えてしまったのですから。
私はこの悲惨な状況を変えられないのか、と思ったし、それでなくともお金を差し出したい、と思いました。
私が今、少しのお金をあげたところで何の解決にもならないことは分かっていましたが、でも、「お金をあげてはいけない」という父の言葉の理由は、その時は分かりませんでした。

今なら、もしお金をあげようとしたら、自分の身に危険が及ぶこともあるかもしれない、などと理由を考えることはできます。
それに、彼らを助けてあげるのは私じゃなくて政府じゃないか、とか、今お金をあげたところで何も根本的には解決しない、とか。
でも、それらの考えに対しては同時に、政府が助けてあげられていないからこそ、彼らは今こうしているのではないか、とか、でも今出来ることは飢えをしのぐ為の少しのお金をあげることだけじゃないか、とか、そんな反論が思い浮かびます。
あの時から、このことについては考え続けていますが、でも、まだ中学生のときの私の疑問には答えられていません。
私と彼らで違う点があるとすれば、生まれた環境だけだと思うのです。
単に、私は生まれたのが日本の私の両親の元であったから、いま自由に自分のやりたいことを決めることが出来ているだけで、もし私が身体を痛めつけられて物乞いをせざるをえない環境に生まれていたら、きっと私も同じことをせざるを得なかったと思います。



・・・そんなことを考えながらバスを待っていましたが、このまま中心街に行く気にはなれなくて、でもお金を差し出すのは何か違う気がして、・・・とぐるぐる考えた挙句、バス停の近くにあるスーパーでサンドイッチと水を買って、親子がいた場所に戻りました。

でも、彼らはもうそこにはいませんでした。

わたしはどうしたらいいんだろう、と考えた一日でした。

3 件のコメント:

  1. バカンスに思いを馳せたり、語学力に落ち込んだり、通りがかりの出来事に悩んでみたり、自信を持って行動していいと思います。このブログ愛読者として、そのすべてにエールを送りたいです。

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  2. これからも色々な事に出会って考え、悩むことも多いと思う。でもこれら一つ一つを越えることが、成長、自信につながるものです。健康に注意して頑張ってね。(犬源)

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  3. また来たねー、経済格差問題。
    かんがえ始めて10年になるね。
    深いよ、deepすぎる・・・

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